玄関前のトサミズキ
大学生活五年目の決定した、文系オタク男子大学生のつづる日記。 就職活動についてや日々の雑記、趣味について。
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嫌韓流が出てました
先日久しぶりに本屋に行っていろいろ本を買ってきたんですが、



「嫌韓流3」



という本が出ていました。
今回の新刊で三冊目ですね。
シリーズが初めて出たのはもう何年か前になると思うのですが、当時は結構話題になっていたように記憶しています。



それで今回は、このタイミングなら今更な感じもないかと思って



所謂思想マンガについて



自分の考えなどちょっと書こうかなと思います。


「嫌韓流3」とか具体的に手元にあると絵を引用したりしてわかりやすくなると思うんですが、生憎うちには小林よしのりがマンガ連載している雑誌の思想マンガとか、ガイドライン改正時に共産党が配っていた赤紙のコピーの裏面に書かれたマンガ(あの頃中学生だったかな)くらいしかありません。「嫌韓流」は今もう手元にはないです・・・OTL
この記事を読まれる方は自分で実際の思想マンガを用意されるとか、実際のページを掲載しているwebを(あれば)見てくださればと思います。



さて。思想マンガの何を話題にするのかということなんですが、
「戦争論」や「嫌韓流」における歴史的事実についてとか、そういうのではありません。


えと。今回は



思想をマンガで表現するってどうなのよ?


ってことについて考えてることを書こうと思ってます。
とりとめもなくなってきたのでw
では仕切りなおして以下より↓



◇◆◇◆◇◆◇◆


「思想をマンガで表現するってどうなのよ?」


「思想マンガ」の定義から入るのは正直手間が多そうなので、とりあえずは今話題のw「嫌韓流」とイコールとしていただきたいと思います。
けれど共産党もビラなどにマンガを描いている(いた?)こともココに併記しておきますね。



ところで思想を扱った書物と言うのは全て「人工物」です。



マンガだってもちろん全て人工物です。オタクが言うのもなんですが?アレは究極的に「二次元」ですww


人工物であるということで今の文脈で大事なのは



即ち作り主の主観が入っているモノであるということです。


だから作品は全て、全てが著者の主観越しの真実なんですよ。


それはどんな難しい活字の科学書だって哲学書だって、例えばその本が世界の認識を話題にしているとすれば、そこに書かれているのは世界を話題にしているその人の主観であり、認識であり、思想なんです。



主観的な認識のない、絶対的客観的真実を描いた本などないのです。



さて、毎回結論もったいぶる内容でアレですが、マンガは読むのが楽ですね。
活字は読むのが大変です。活字の本でも難しいとされているものほど読むのが大変ですね。


当たり前のことなんですが、どうして漫画は読むのが楽で難しい活字の本は読むのが大変なんでしょう?



それは考える必要がないからです。考えるところは全て視覚的情報として入ってくるんですよ。それがマンガですから。考えた結果としてのモノが初めから結論として、即ち真実として用意されているから楽なんです。


それでは、肝心の思想マンガというものが作られるとどうなるのか。



ものを考えない相手に結論だけをこれほど簡単に刷り込める媒体もないわけですよ。



悪人としたい人間は悪く書いたとしてもですね、マンガですから、全てはマンガの表現の域に収まります。マンガ慣れしている我々はそれゆえマンガとして描かれているところには大して注意も払わずにストーリーをおってしまうということが起こりうる。
それで「勉強した」といってもそれはもう怪しげな「真実の世界についてのセミナー」みたいなのでわかりやすくモノを教え込まれた挙句、「勉強になった」と言って家に帰っていっているようなものです。
活字の、自分で考える余地の残されている媒体に接した方が、まだ勉強になったといえるでしょう。勉強になった、勉強したってのは思想に関して言えば、ものの考え方に責任を取れるという意味です。



思想マンガというのは、読むのは楽ですが、楽であれば楽であるほど勉強にはなりません。教え込まれているかも知れないということです。特にマンガについては自分もですが、どうも簡単に著者の主観を真実としてスルーして、結果的に自分の真実としてしまう傾向がありますね。
なんというか



「攻殻機動隊」で負傷したトグサの記憶に当てられたバトー状態になるといえば、オタクの人ならわかるでしょうが、思想マンガというのは要は人をそういう状態にしやすいものです



思想マンガを出すなとは言いません。情報集めのきっかけとして「嫌韓流」なんか重宝しますよ。でも気をつけて読むべき物ではあると思います。


気をつけて、と言うのがまた難しいものではあるんですがw


なんつーか、そこから無責任に思想を引用することは控えるべきものでしょうね。



だって思想の内容(左右等)を問わず、知らず知らず自分が劣化コピーになっているかもしれませんから



最後に。
内容についての感想についてはもっと詳しく批判、賛同等されているところがあると思います。それから私、「3」は買ってません。買っても以上の理由から本気で読んだりはしないでしょう。劣化コピーにはなりたくないですから。興味あれば自分で考えますよ。



テーマ: - ジャンル:本・雑誌

オタクなのか、オタクな自分に逃げてるだけなのか
えと。ちょっと生活リズムがおかしくて寝起きでぼーとしてるんですがw
お久しぶりです。むりはりですよ。
今回はコミケで買った同人誌の感想でも書こうと思います。



コミケの同人誌のなんかの本に書いてあったせりふで
好きなモノ、コトについて、
「それが好きなのか、それを好きな自分が好きなのか考えてみろ」みたいな一文があって、ちょっと気になりました。



えと。早い話上のような問いかけに対してちょっと考えてみようと思うのです。






さて。まずは自分から反省してみたいと思うんですが。



私(男)はオタク的思考、嗜好の持ち主である、と取りあえず断言してみます。
秋葉原行くの好きだし。ゲームやったり漫画読むのも好きだし。



で、このような自分に対して最初の問いかけがやって来るわけですよ。



「ほんとにその対象が好きなのか?それともそれを好きな自分が好きなだけじゃないのか?」と。


さらには



特に押井○とか好きなやつ



・・・みたいなこと件の同人誌では言ってましたけどw



とにかくコレ、オタクに限らず結構みんな考えといた方がいい問いかけではないでしょうか。


要は好きな対象に対して、自分はそれを本気で好きなのか、それとも自分を肯定するために特定の何かを好きでいるだけなのか、と。そういう問いかけです



オタク趣味の人でもオタクじゃない趣味の人でも。
趣味だけじゃなくて「好き」な相手について考えるときでも。
仕事について考えるときでも。
生きてる心地よさには、今やっていることと自分の根本的な「好き」の一致があるんじゃないかと、そんな風に思いました。



思考停止(エポケーなどではなく、単なる思考停止)とか欺瞞とか、そういったものへの糾弾として、簡潔にして的を得た文章を載せた同人誌にめぐり合えたと思います。



コミケはいいとこです。

テーマ:アキハバラ系 - ジャンル:サブカル

コミケ行ってきましたー。
行ってまいりました。コミケ。
オタクの御多分に漏れずw


えーと。



岡田さんのサークルとか、主に評論系のところに出没してまいりました。



楽しんできました。



そして相変わらず何を書いていいのかわかりません




というのもですね、イベントのあらすじ書いてるのをよく見かけますが、
聞いたり見てるする側はどうやってそういうのを楽しんでいいのかわかんないので、そういう自分で楽しみ方がわかっていないものを書いても仕方ないでしょうと。



えーと。だから感想というかホント独り言のようなものなんですが。



友達に会ってくだらない話しながら開場待って、そんで終わってから飲み会やって、むりはりは幸せでしたー。

テーマ:コミックマーケット - ジャンル:日記

生きています。
お久しぶりです。むりはりです。


取りあえず生きています。
放置気味でどうもスイマセン。
本気でつまんない話なんですが、復帰がてら書こうと思います。


えー。ブログをもった生活を始めて結構たつんですが、それでもこういう生活の優先順位がまだまだ低いものなんだなぁと、放置していた時間を思い返して気づきました。


まぁ確かにブログをやるもやらないも自由なんですけどね、
じゃぁブログやるのとやらないのとどっちがいいかって聞かれたら
自分の都合のいいときに書けるのがいいっていう、
とっても人でなしな答えがとっさに思い浮かんだりw


・・・ただ見に来てくださる方がいるという、この「責任」を思い出すと本当に凹んできて、
けんかした後にクラスに入るのが躊躇われた小学生の頃みたいな気持ちでブログの管理画面を開いたりしてます。


なんていうか、こういう枷のようなものがあるっていいものですね。


ええ。以上です。これからも気ままに書こうと思いますので。よろしくお願いします。

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

真面目にニュースレビュー。ホームレスへの犯罪とか
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070806i303.htm


オタクだけどものも考えます(挨拶)



暑くてともすれば外に出るのが嫌になってしまいそうな日々が続いておりますが、なんというか、自分はもう年なのかw外に出るのが億劫に感じられて家でDVDなぞ観てたりしている日々です。


えー。あらかじめ断っておきますが、ちょっと不愉快な表現がこれから出てくると思うのでご了承ください(ぺこり)



それでもいいぜという方はどうぞ↓




さて。上は読売のニュースを引用させてもらったんですが
ニュースは要は「少年の残酷犯罪」がまた起こったということについてです。


それでこういう事件全般についてちょっと気になる箇所があってニュースの感想記事にすることを決めたんですが、


その気になったというのは「ホームレスはゴミだから殺しても関係ない」というものの考え方です。
…少年によるホームレス殺しって、大概この類のエクスキューズに基づいて行われているようです。


自分ももう23で、子供相手にいろいろ教えるべき(社会的)立場の人間になってしまっているんで、どうしても考えてしまうことがあるんですが、それはどうやってこのような考えの人に対して一般的な社会規範であるところの「人間は誰もゴミ扱いしていいものではない」ということを納得させられるのか、ということなんです。


…結論から言えば上のようなことを納得させるのは無理なんじゃないかって、おもうんです。
大事なのはゴミをゴミじゃないと誤魔化したり、従わなかったら罰を与えたりすることではなく、ゴミをゴミでなくすことではないでしょうか。


というのも
上記の社会規範。「ゴミは殺しても関係ない」に対して取りあえずは「その人」が実はごみでないとか、「人間は誰一人としてゴミではない」ということを教えると思うのですが


うーん。正直ですね。それは社会のうちに価値あるものとしてその人間がある限り通じるルール、決まりではないかと思うんです。


つまり逆に言うと、人間社会、これは厳密に言い直しますが、つまるところそれは我々一人びとりにとっての「社会」ということですが、それにとっての「絶対悪」とされている存在は、死んでも、殺しても問題ないものとして扱われているという現実がある。



具体的には蚊が有用でない価値観で生きる人間にとっての蚊とか、ゴキブリ、とか。
んー。あと違うと思うけどアメリカ人にとってのテロリスト、とか。ネット右翼にとってのイメージとしての中国人、とか。

違っていたら心よりお詫び申し上げます

・・・つまり、件の少年達にとっては、ホームレスが我々の文脈で言う害虫のごとく扱っても差し支えないという、そんなエクスキューズを与えてよい存在だったのだと思うのです。


まぁ、これは不愉快な考え方ですが
あの、これはもう、一面的にどうしようもない事実、現実だと思うんですよ。
現状ホームレスは、やっぱり迷惑な存在ではあります。そしてそのような人は殺してもよいと考える人間とって、ホームレスは相変わらず攻撃の対象となり続けるのでしょう。



ではどうしたらいいのかと、繰り返しになりますが、


今回の少年達にとっての厳然たる事実、即ち「害虫」を前に「害虫の人権」だかなんだか唱えてもどうしようもありません。


先に手を打つべきなのはホームレスの現状です。
少年達や社会に人権だ何だとアピールするのは、ホームレスもまた我々の側にあるという明らかな、説得力ある状況を作り出してから出ないと効果が出ない。



厳罰化への反論ですが、厳罰というのは、説得にはならないんですよ。罰を与えるというのはその人へ、その人の行為の責任を負わせるという意味ですが、この事件の少年達は、ゴキブリを殺す社会のうちに生きて、ルールにしたがって自らも行動してみたら、大人がゴキブリを殺しているのに、子供が殺したら怒られた、ようなものです。なんでも子供の所為にすればいいってわけじゃあ、ないでしょう。


必要なのは被害者を社会のうちにつなぎとめることだと思います。それはつまりホームレスという人間を表面上だけにせよ、なくすことです。具体的には生活空間の建物を確保させることが先決すべきことではないでしょうか。
人間としての尊厳みたいなものは間違いなく人間社会のうちだけで有効なものですから、少年を矯正させる前にこのようなことをするべきでしょう。




あとはホームレスはみんなディオゲネスに見える社会を作ってみるとかwww




最後ですが
最も常識的な対応である、事件を起こす十分に社会化していない少年達達の社会化については


私は正直疑問があります。


それは率直なところ、ホームレスの人権とか、そういうものなんて、それ自体誰も信じていないんじゃないかという不信があるからです。現実問題、それ自体価値のある「もの」や「価値」や「人」なんてなくて、「誰か」や「何か」とのつながりで相対的にみんな価値を与えられています、が。
率直なところホームレスには、そういったつながりがありません



ですから、ホームレスを殺してもいいとみなす(一個人からの)社会が存在したとき、彼らが攻撃されるというのは、我々が害虫を害虫とみなして殺すことくらい、自然に起こりうることだと考えています。


テーマ:青少年の事件・ニュース - ジャンル:ニュース





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